生月島(いきつきしま) (5/5)

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5. だんじく様

 


絶好の釣り場に見えますが、この右が史跡「だんじく様」

 

正保2年(1645年)平戸藩は押役を置きその下に宗門目付、下目付、宗門改め役を置いて切支丹の取締りにあたらせた。

この頃、捕史に追われた弥市兵衛と妻マリア、その子ジュアンは、この断崖の下のだんじくの繁みに隠れていたが子ジュアンが磯に遊びに出たところを海上から役人に発見され殉教した。

以来、海上からのお詣りは忌みきらわれている。

いまもなお旧一月十六日の命日には信者が集まり、信仰を守りつつ殉教していった人々をしのび祈りを捧げている。

  あーしばた山 しばた山ナーアー
  今は涙の谷(さき)なるやナー
  先はナー助かる道であるぞナーアー

殉教の悲しみと、神の救いを希(ねが)う心情のほとばしるしみじみとした歌である。

この歌は昭和五十二年七月立教大学の皆川達夫教授によって紹介され、東京国立劇場で生月かくれキリシタン歌オラシヨと共に発表された。

以上、史跡の案内板(駐車場の近くにある)から引用しました。

駐車場から急な道を10分くらい下ります。

 

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