自己紹介

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十数年ぶりの長期出張である。場所は長崎。南の果てから西の果てへ。

1999年5月3日が移動日だった。その時の一句。九州自動車道、えびのICと八代ICの間の数々のトンネル群。そこを、ワーグナー管弦楽集を鳴らしながら、布団袋とダンボール満載の車が疾走していた。

     新緑のトンネル走るワーグナー

長崎で、はまってしまったのが、海釣り。某掲示板に、「ホリデイ・ライターの釣り日誌」と名付けて、 9〜10月に十数回、書き続けていたのだが、それに加筆修正して、日記の母体にしてしまえば、そう苦労もなくスタートできるかなと考えた。

実際に開設したのは、1999年11月28日、次の出張先の東京にてだった。

少しだけ、昔を振り返って自己紹介を兼ねることにする。

1. 高校時代まで 

最初の釣りは、多分、マブナ。近くの川だろう。

「釣る」を「取る」という言葉に変えれば、家の前を流れていた幅1mくらいの小川でのエビやメダカになる。川にこだわらなければ、稲の穂を使ったカエルということになる。ザリガニは見かけなかった。

一人で行くことが多かった。釣ったものは、自宅の小さい池に入れていた。鯉や金魚と同居だ。小学校の理科の時間に、解剖の教材用に持っていったが、みんなが可哀想だと言って、結局クラスのペットになった覚えがある。

台湾リールやマブナ釣りの仕掛け買ってもらったのか小遣いをためたのか、4本継ぎくらいの竹竿を入手してずっと使っていた。仕掛けは5個くらいのシモリウキをつけた1本針。餌は、そのへんを掘り返して手に入れたミミズ(キジ)。

海釣りは、ほとんど行っていないが、一応竿は持っていた。竹の2本継ぎに台湾リール。親指でブレーキ(サミング)をかけるタイプ。干拓地の堤防から、キスやゴッババ(ネズミゴチ)が釣れた。

桜島の水族館(今はもうない)の横に、釣り堀があった。アジの切り身を餌にしたアジ釣り。共食いの強烈さと父と行ったというのが記憶に残っている。

それから、父の職場の慰安旅行で湯の児温泉(熊本県)に行ったときのこと。船でキビナゴを餌にしたタチウオの手釣り。同乗者10人くらいだったろうか、隣りに座っていた弟だけが釣れて、悔しかったのを覚えている。負けず嫌いの兄であった。30年後に、タチウオを陸から釣り上げることになろうとは、想像だにできないことである。

この頃の仕掛けやリールなどを入れた箱は残っていたのだが、竿は見つからない。どこかの片隅でほこりをかぶって眠っているのだろうか。あるいは、引越しのときに棄てられてしまったのだろうか。


2. 大学時代

県外に住む。

釣りは1回だけ。春休みに帰省。友人が東京から訪ねてきたので、桜島観光のついでに、牛根(大隅半島とつながっている所)にあるハマチの釣り堀に行った。

登山もまだ手はそめていない。勉強もしなかったし、何をやってたんだろうね。

アルトを吹いているのが私左から、アルト、テナー、ソプラノ


3. その後、1999年4月まで

登山は、社会人になってから始めた。

釣りは、社内旅行(伊豆)に行ったときのニジマス釣りだけだ。餌を与えていないようで、投げ込めば釣れるというありさまで、全然おもしろくなかった。高校時代から憧れていた水郷に近いところに住んでいたのに、結局竿を手に取ることはなかった。

海釣り公園で糸をたらす娘、遠くに桜島今年(1999年)の正月2日、娘たちが釣りに行きたいというので、錦江湾の海釣り公園に出向く。正月は入園料が半額なのだ。風が強く、それほどの人出ではなかった。竿はそこでレンタル。仕掛けや餌のことなど何もわからないので、係りのおじさんの勧めるものを買う。

我々が一番釣れていた。15cmくらいのアラカブ(カサゴ)を、6・7尾だったかな。だが、まだ釣りにハマル予感はなかった。

以上が、1999年4月までの釣りの思い出である。

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